交通部会の由来・活動経過
〜目標としていた交通事故死者1日10名以下達成を記念して〜

 交通部会が目標としていた交通事故死者1日10名以下達成に当り、「交通部会」の由来を記します。当「交通部会」の起源は、遠く昭和45年前後、日本の交通事故死者数が1万5千人を超えていた当時、それを憂えて、自動車工学の権威のお一人・近藤政市東京工業大学教授が音頭を取り、交通事故をいかにして減らすかを検討するため「交通研究会」を設立。毎月一回の会合を持っていたとのことです。
 年月が降って、昭和55年ごろ、当「公益財団法人協和協会」の会員のお一人・仲山順一警視監・内閣総理大臣官房交通安全対策室長から、私(清原淳平)に「自分は、父親を交通事故で亡くしているので、近藤政市教授が創設された“交通研究会”に参加しているが、清原さんも参加してほしい」と誘われ、参加しました。参加した当時は、パソコンもコピー機もない時代ですから、資料といっても複写便箋で複写した資料を配付する時代でしたが、参加者は交通事故をいかに減らすか熱心に討論したものです。
 そして、昭和の60年前後でしたか、近藤政市東京工業大学名誉教授から「自分も高齢になって身体不自由を感じてきたので、交通研究会を(財)協和協会で引き取ってもらえないか」とのお話がありましたので、岸信介会長に御相談しましたところ、「交通事故で毎年1万人も亡くなることは、やはり国家的課題といえる。協和協会で引き受けなさい」との御指示があり、お引き受けすることになった、という経緯であります。
 そこで内部で検討したところ、交通事故対策としては、技術的観点から減らすことと、学校教育はじめ社会教育の面から減らす、両面があるということで、当初は、科学技術部会(部会長は川村晧章元総理府総務副長官)の中に「交通科学委員会」を置き、また教育部会(教育部会長は木内計二全国教育管理職員団体協議会会長)の中に「交通教育委員会」を置くことになり、両委員会にて熱心な検討を初めました(創始者の近藤政市東京工業大学名誉教授は両委員会の顧問)。そして、昭和62年6月には、その交通教育委員会にて、『小・中・高等学校の交通教育拡充についての要請』書を起案作成し、時の中曽根総理へ提出しました。また平成2年12月に『小・中・高等学校の交通教育の実施に関する要請』書を時の海部俊樹総理へ提出。さらに平成4年1月、『文部省の初等中等教育局に交通安全課を設置いただきたき要請』書を時の宮沢喜一総理に提出しました。そして、そのあと、警察庁に関根謙一交通局長を訪問し、参考までに上記要請書を関根謙一交通局長に提出しました。それがご縁で、関根謙一先生は、警察庁を退官後、当団体の交通教育委員会と交通技術委員会の顧問に就任していただきました。
 その後は、平成4年以降、仲山順一(財)協和協会監事、桜井淑雄(財)協和協会理事が交通委員長を勤めましたが、平成11年1月に仲山順一(財)協和協会監事が逝去、また、創始者である近藤政市東京工業大学名誉教授が同平成11年2月に亡くなり、桜井淑雄(社)日本自動車工業会元常務理事も平成13年に亡くなり、当(財)協和協会の交通委員会は停滞期に入った。
 この事態を心配した清原は、これまでの交通技術委員会と交通教育委員会を合体して、「交通部会」とすることを理事会決議し、その平成14年夏に、関根謙一元交通局長にお願いに出て、平成14年9月から、関根謙一元警察庁交通局長に「交通部会長」に御就任いただきました。以来、関根謙一交通部会長は、毎月、警察庁交通局から御担当官を招いて、交通事故統計を初め時季時期の交通情況の解説をいただき、その上で意見交換をするというスタイルを確立して下さった。また、小泉内閣の平成16年1月13日、総理官邸に福田康夫内閣官房長官を訪ね、当団体作成の政府宛要請書10本を御説明の上提出した際、関根謙一交通部会長も同席されている。なお、警察庁交通局も、年々統計資料が充実・詳細化し、それによって、交通事故対策も重点化でき、具体的対策が立てやすくなり、実際に交通事故は年々目に見えて減少するようになった。この点は、現場の交通警察の御努力も大きいが、警察庁交通局がまとめられる統計資料をはじめとする各種資料が大きく貢献していることを感じ、交通局の御努力に深甚の敬意を表します。
 ところが、その関根謙一部会長が平成26年秋、令夫人の介護のため交通部会長を辞任するとの申し出があり、理事会で御了承した。その際に、後継部会長については、小野正博(公益財団法人日本交通管理技術協会会長)が心配下さり、吉田英法元警察庁関東管区警察局長が、平成27年2月、当財団の交通部会長に就任下さった。吉田英法部会長も誠実な方で、関根謙一前交通部会長の交通事故死者1日10人以下目標を引き継ぎ、熱心に務めて下さったが、平成28年6月20日に御急逝された。
 そして、前記、小野正博先生に御相談した結果、平成28年秋より、松本治男元近畿管区警察局長様が、交通部会長に就任下さり、以来、やはり、交通事故死者1日10人以下目標を引き継ぎ、熱心に交通部会を進めて下さっております。そして、昨年(平成30年)の交通事故死者が、3532人を記録し、ついに交通事故死者1日10人以下という目標を達成いたしました。
 創始者の近藤政市先生はじめ、永年にわたり、当「交通部会」に参加された多くの方々も、さぞ喜んでおられることと存じ、ここに、活動経過を記録させていただきました。(清原記)

当協会が「交通部会」を引き受けた当初の参加者
────昭和60年当時、当初時、熱心に参加下さった主たる方々────

  • 〇川村皓章 元総理府賞勲局長・沖縄開発事務次官・総理府総務副長官
  • 〇木内計二 元公立学校長、全国教育管理職員団体協議会会長、
          (財)科学技術教育協会理事長
  • 〇近藤政市 東京工業大学名誉教授、元日本自動車研究所所長、
          当「協和協会」理事
  • 〇富永誠美 元警視監・警察庁交通部長・交通局長・警察大学校長
  • 〇関根謙一 元広島県警本部長、前警察庁交通局長(退官前に要請書受領、
          退官後に交通部会長)
  • 〇仲山順一 元警視監・中部管区警察局長・内閣総理大臣官房交通安全対策室長
  • 〇桜井淑雄 (社)日本自動車工業会常務理事、(社)日本自動車会議所専務理事
  • 〇平坂繁雄 (社)日本自動車車体工業会常務理事、自動車問題研究所代表
  • 〇窪田雅男 工業技術院機械技術研究所院長、(財)機械振興協会副会長兼所長
  • 〇鳥山新一 (財)日本サイクリング協会理事
  • 〇長友正治 (社)日本技術士会理事兼海外業務促進委員長
  • 〇清原淳平 (財)協和協会常務理事、岸信介元総理会長四団体常務理事・
           事務局長

               (注 以上は昭和60年代の肩書)