平成24年10月29日(月)

日帰りバスツアー(月例講話会に代えて)

岸信介元総理の墓参・河口湖・忍野八海

墓前

←当団体の創立者・岸信介元総理の墓所にて、供花を献じ、一人ひとりお線香を供え、参拝した後の記念写真。当日は、岸信介元総理が創立した4団体の有志が参加し、御遺徳を偲びました。

概要

前回の墓参のバス旅行は、平成21年12月10日で、この時は、岸信介元総理が晩年に御住居として過ごされた御殿場の敷地邸宅が御親族によって御殿場市に寄贈され、それが『東山旧岸邸』記念館として開館されたとの報道を聞き、12月10日で寒い時期ではあったが、岸信介元総理を慕う岸先生創立各団体から声が挙がり、有志一同、東名高速道経由で、まず、富士霊園の岸信介元総理墓前に献花しお線香を献じ、そしてその隣に眠られる安倍晋太郎先生のお墓にもお参りした。その後、上記の『東山旧岸邸』記念館を一同にて懐かしく見学し、そのあと、近くの『秩父宮記念公園』をも拝観して帰路に着いた。
 その帰路のバスの中で、一年置きぐらいに墓参に参上しようとの声があり、昨年、その企画を立てていたが、3月11日の東北大震災のため、自粛した。そこで、今年はぜひという声が挙がり、まだ寒くなく紅葉も美しい10月29日に、バスを借り切って実行した次第である。
 岸信介先生のお墓は、桜の名所として知られる富士霊園の高台にあり、富士山は見えないが素晴らしい環境にある。まず、墓前に生花を献じ、そのあと、一人ひとりお線香をお供えした。

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忍野八海(おしのはっかい)

「忍野八海」は、遠い昔は「宇津湖」という一つの湖だったそうだが、延暦年間の富士山の大噴火(西暦800年〜802年)の溶岩流で、山中湖と忍野湖とに分かれたという。その後、忍野湖の方は干上がって平地となったが、富士山に降った雪や雨が地中にしみ込み、その伏流水が湧出して八つの湧水池になったとされている。
 したがって、富士山からしみ込んだこの伏流水は、20年ないし80年かかって濾過されて来るので、透明で美しく神秘的であり、全国名水百選の一つに選ばれている。また、国の天然記念物にも指定されている。その水底は8メートルの深さでも透明なので、その水中を泳いでいる鯉・ヤマメ・イワナ・マスなどの魚も、はっきり見ることができる。
 因みに、なぜ「八海」というかというと、昔、霊峰富士を信仰して富士登山する富士講の人々は、登山前に日本列島各地の八つの海をめぐってから富士登山したことから来ていて、富士講の人々は忍野八海のことを「元(小)八海」と呼び、この忍野八海をめぐってから富士登山する方もいる。なお、忍野八海とは、出口池、御釜池、底抜池、銚子池、湧池、濁池、鏡池、菖蒲池の八つをいう。上記写真のうち、最後から3番目の赤い実は、色づいた「花なす」で、買って帰られた方もおられた。

<旅程>新宿駅西口出発 ⇒ (中央高速) ⇒ 河口湖畔・大石公園 ⇒ もみじ亭にて昼食(キノコほうとう) → 忍野八海 ⇒ 岸信介元総理・安倍晋太郎元外務大臣墓参 ⇒ (東名高速)→ 新宿着・解散

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