平成27年10月29日(木)

会長代行御就任私記念講話
──私の政治信念・国政報告ほか──

岸信夫先生

岸 信夫先生

衆議院議員・議院運営委員会理事・
自民党国会対策副委員長



概要

 ご紹介いただきましたように、私は安倍家から岸家に養子にでたのですが、生まれて半年もしないうちに岸家に来まして、そのことを私自身は知りませんでした。周りの人も、誰も教えてくれなくて、養子だということを知ったのは、高校生になってから。留学を考えていたときに戸籍をとったところ、「養子」となっていてびっくりしたわけなんです。いままで父母だと思っていた人が伯父伯母で、叔父叔母だと思っていた人がほんとうの父母で、従弟だと思っていた人が兄だったというわけで、テレビドラマなどでは、そこでグレてしまったりするところなのです。私の場合は、そうもならなくて、父母に、どうして養子にとったのかも、結局聞いてはいません。

岸信介先生の書

 安保闘争は昭和35年で、私は昭和34年生れなので、あの騒動のことは記憶にありません。安倍首相は、当時、岸信介首相に肩車されながら、「安保反対、安保反対」と言っていた、というようなエピソードを話されますが、私には、安保の記憶はないですね。後方の掛け軸の文言は、 「至誠にして動かざるものは、いまだこれ有らざるなり」(至誠而不動者未之有也)であります。中国の孟子の言葉だが、吉田松陰が好きだった言葉でもある。その意味は、「誠を尽くして人に接すれば、心を動かさないものはこの世にない。まごころを十分に発揮しようと思い努力することこそが人の道である」と説いた言葉です。私は、会社に入って、この言葉のままに生きてきたと思っています。
 会社で担当した部署は、食料の関係の、特に、米や小麦を扱っているところでした。小麦は90%を輸入していて、輸入550万トンのうち、アメリカが300万トン、カナダが130万トン、残りはオーストラリアでした。私が住友商事に入社して、上司が最初に行った言葉をよく覚えています。「儲けることよりも、日本の国民のことをまず考えろ。食糧を安定供給することが、お前の仕事だ」でした。
私は、政治家になれと、いわれたことはありませんでした。ただ就職するときに、「政治家にはならないのか」と一度、聞かれました。その時は、就職してどういう仕事をしようか、ということで頭がいっぱいでしたので、政治家になりたいとはまったく思っていませんでした。幼いころ、岸信介は、首相は辞めていたけれども、まだ政治家でした。朝起きると、家の中に知らない人がいっぱいいる。記者もいるし、地元の関係者なんかもいる。自分のことを誰もかまってくれないんですね。だから、政治家にはなりたくないな、とずっと思っていました。ところが会社の仕事でベトナムに派遣されたことがありました。当時のベトナムは、貧しいけれども、活気にあふれていました。「日本を目標にしています」などともいわれましたが、これは、うかうかしていると、日本は目標どころか、追い抜かれてしまうぞ! と、危機感を抱きました。そこからですね、政治家になって日本を元気にしなければ、と思いだしたのは。
 日本に帰ってから、妻にそのことを言うと、1週間ほど口をきいてくれませんでした。というのも、私は、「政治家にはならない」と、以前から言っていたからです。
 私の現在の選挙区は、山口2区で、これは山口県の東側の地域にあたります。瀬戸内海に面したコンビナートのある地域を中心に、岩国市などがある地域です。岩国には米軍基地があります。騒音がうるさいし、迷惑であることは確かです。しかし、米軍とは、うまくつきあっています。沖縄では基地問題がずっとありますが、岩国が基地問題を解決するヒントになる可能性があります。沖縄は基地が多い。少しでも負担は軽減して行かなければいけないと思います。岩国基地では、米軍のオスプレイの訓練を月に3〜4日行うようにしていますが、これだけでも普天間の負担はかなり軽減できているはずなんです。米軍基地のある地域を地盤としている議員達と集まって、沖縄の負担軽減についてよく話をしています。菅官房長官も岩国基地を視察にきたことがあり、この話をしています。
 憲法改正は、第一に考えています。祖父の岸信介もずっとそのことを考えていましたが、日本がほんとの独立国になるためには、これは本気で考えていかなければならないことです。
 今回の安保法案に関しては、戦争に巻き込まれてしまう、とか、徴兵制がはじまる、などと誤解をしている人が多くて、とても残念です。戦争に向かっていくのではない。平和を守るために必要な法案なのだということを、地元でもよく説明しています。しっかりと話せば、皆さん分かってくださいます。
 安保法案の議論が深まらなかったひとつの理由は、民主党議員の意見がまとまっていなかったことにあります。民主党の中には、集団的自衛権に賛成の人と反対の人がいたため、深い議論ができなかったのです。
私は、防衛省の政務次官もやり、2年前には外務省の副大臣もやりました。日本の安全保障の最前線にいたわけです。日本の平和を維持するためには、外交力も軍事力も両方必要です。この間、海外にも多くいきました。特にアジア諸国に行くと、日本は想像以上に信頼されていることを感じます。ASEAN7か国で行った調査によると、「世界で最も信頼できる国はどこか?」の答えの1位が日本でした。フィリピンだけはアメリカが1位でしたが、2位は日本でした。それくらい信頼されている。集団的自衛権の件についても、日本が侵略戦争をはじめるなどという疑念をもっている国はまったくない。むしろ日本がアジアの平和を守ってくれるのではないか、という期待感があるのです。中国の横暴な態度に、各国は懸念をもっていて、日本への期待は高まっているのです。
農業は強くしていかなければならない。いま海外で日本食ブームであり、その食材として、日本の農産物にも注目が集まっているのです。これを利用しない手はない。それと地方の高齢化問題も深刻です。山口県も高齢化が進んでいますが、老人は元気です。

■岸信夫先生御略歴 平成27年4月1日付にて、当財団の6代目会長代行・代表理事に就任。当財団の創立会長・岸信介総理は御祖父であり、安倍晋三総理は御実兄。  岸信介先生も、御出生時は佐藤家であったが、のちに、ゆかりの深い岸家を相続された。同様に、岸信夫先生は、御出生時は安倍家であったが、母方の岸家を相続された。佐藤栄作総理は大伯父にあたる。即ち、岸信夫先生は、血縁・戸籍上ともに、岸信介総理の直系の御孫である。そうした御血統からも、当財団の会長代行就任は、誠に正統といえる。  その御経歴は、1959年(昭和34年)4月1日生まれ。長じて慶應義塾大学経済学部を卒業され(昭和56年)、住友商事に入社し、アメリカ、ベトナム、オーストラリア等に勤務。平成14年退社して、政治家の道を志し、平成16年7月の参議院通常選挙に出馬して初当選。平成22年7月の通常選挙にも再選を果たす。福田改造内閣・麻生内閣において、防衛政務官を務める。  そして、平成24年11月16日の衆議院解散を受けて、同30日、参議院議員を辞職して、山口2区から衆議院選挙に出馬し、民主党候補を破って見事当選し、衆議院議員。翌平成25年9月の安倍晋三内閣で外務副大臣。次いで、平成26年12月の衆議院解散による総選挙でも再選を果たす。現在も、衆議院議院運営委員会理事・自民党国会対策副委員長の要職にある。  写真後方の掛軸は、「至誠にして動かざるものは、いまだこれ有らざるなり」(至誠而不動者未之有他)とあり、信夫先生が就職の時、御祖父・岸信介元総理から贈られたもの。中国の孟子の言葉で、「誠を尽くして人に接すれば、心を動かさないものはこの世にない。真心を十分に発揮しようと思い努力することこそが人の道である」と説いた言葉である。
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