安全保障部会作成要請書第11本目、政府宛提出要請書17本目、昭和59年1月18日提出
非武装中立論を駁す

【要請書全文】

 昭和58年11月の第100回臨時国会予算委員会等において、中曽根首相と石橋社会党委員長との間で、わが国安全保障の基本的あり方について論争がなされ、中曽根首相は、米ソ両大国の軍事上の均衡と抑止に立脚した現実的な防衛体制こそが、国の安全を保障しうると説き、他方、石橋社会党委員長は、軍事に立脚した安全保障は危険であり、他国から侵略を受けないためには、非武装中立こそが最善の政策であると主張した。
 両者いずれが是か非か。当「協和協会」の会員の中には、30名に及ぶ国防の専門家が参加して、国防部会を構成していることでもあり、専門家の立場から、この問題を取りあげ、果たして「非武装中立」なるものが成り立ちうるか否かを、ここに明らかにして、国政ならびに国民の判断の参考に供する次第である。

一、「非武装中立論」が現実に成り立ち得ないことの論拠


1、今日まで、歴史に登場する国で、非武装中立を志向したり、これを全うしえた独立国は、一国も存在しない。この一事を以てしても、非武装中立は、現実性のない夢物語りである。

2、元来、「中立」とは、戦時いずれの側にも組みせず、もし、自国が侵略された場合には、自力でこれを排除する、というものである以上、理論的に言っても、非武装中立は成り立ちえない。

3、中立国の代表例として、よくスイスがあげられるが、永世中立を宣言したスイスは、正規軍をもち、国民皆兵制をとり、一朝有事の際は、48時間以内に、60万の兵員を動員しうる体制にある。また、スウェーデン、オーストリア両中立国も同様、軍隊をもち、その国民は、侵略があれば、断固、徹底抗戦することを、内外へ表明している。

4、中立国たる条件は、一般に、大国間に挟まれた比較的小国で、紛争の緩衝という地理的・歴史的な条件の存在に加え、3で明らかにしたように、それは、あくまで「武装中立」であって、国民が侵略に対して国を守る気概を有し、かつ、周囲の大国がこれを承認・尊重すること、などが必要条件となる。

5、これに対し、わが国は、地理的二歴史的、あるいは地政学的・戦略的にみて、重要な位置にあり、しかも、経済大国・技術大国でもある日本が、かりに中立宣言をしても、両陣営とも承認・尊重するとは思われないばかりか、こうした重要な地位にある日本が、防衛力も保持しないで中立を宣言すれば、いずれ周囲の大国の先制占取を誘発し、かえって国際紛争の種を作る原因ともなろう。また、国民に、侵略に対して断固国を気概なく、非武装中立というのであれば、それは、もはや中立国の範疇にさえ入らず、亡国の思想というべきである。


二、社会党の安全保障「国連依存論」は、国際認識の欠如もはなはだしい

 石橋政嗣氏の著書『非武装中立論』では、「……各国の安全保障は、あげて国連の手にゆだねる」(84頁)べきものとしているが、これは、国連機構の実態を知らず、国際情勢の認識にも欠如し、かつ「中立国」の何たるかさえ理解していないことを示すものである。

1、現在の国際連合は、第二次大戦末期、それまでの国際連盟を発展的に解消して、高い理想の下に結成されたものであるが、一面の成果はあげているものの、国際間の軍事紛争については、大国の拒否権などによって無力化しており、この拒否権を解消する具体的・現実的な方法も提示しないで、ただ「国連依存による安全保障」を叫ぶ石橋委員長の認識は、現実遊離もはなはだしい。

2、さらに、中立国たるものは、戦時にいずれの側へも加担しないからこそ中立であるのに対し、国連の安全保障のしくみは、侵略国に対して、加盟国が一致結束し集団的武力を以て、これを排除することを義務づけているものであるから、本来、中立国のあり方と国連のしくみとは相容れないものであり、中立国スイスが、国連に加盟していないのも、この理の故である。

3、したがって、「非武装中立」であれば、理論上、国連脱退が筋であるのに、特に合理的な説明もなく、逆に、国連に安全保障を依存するのは、論理の矛盾、認識の不足もはなはだしいと言わねばならない。


三、社会党のいうように、米・中・ソ・朝は果して安全を保障してくれるか

 また、『非武装中立論』では、日本の安全は、米・中・ソ・朝の四か国に、保障してもらう(83頁)としているが、こうしたことは現実に成り立ちえないことである。

1、まず、「朝」を挙げ、「韓」を挙げていないことは、半島を統一した後の北朝鮮を意識しているようであるが、これは、韓国に対する重大な侮辱であるばかりか、ビルマのテロ事件を見ても分かるように、きわめて戦闘的な北朝鮮に、日本の安全を保障してもらう考え方は、なんとも理解に苦しむ。

2、中国も、久しくソ連の脅威に苦しんでおり、それだけにきわめて現実的な国際認識をもっている。それは、去る昭和58年秋、石橋氏が訪中して非武装中立論を訴えたのに対し、中国首脳に相手にされず、一笑に付されたことからも明らかである。

3、アメリカについても、アメリカは、日米安保条約の解消を望んでおらず、もし、かりに、日本が非武装中立を宣言した場合、アメリカが、日米安保条約を解消した日本に、安全を保障するということじたい矛盾である。安保条約を破棄した相手国に安全保障を求めるという石橋氏の考え方は、あまりにも幼稚な発想である。

4、これに対し、ソ連のみは、この非武装中立論を歓迎するかもしれぬが、それは、アメリカと離れて非武装中立化した日本は、容易に自己の勢力下に組み入れやすいことを計算してのものであることを、察知してもらいたい。


四、自衛隊解消、安保条約廃棄で、国民の安全は保ち得るか

 社会党の『非武装中立論』の核心は、日米安保条約を廃棄し、自衛隊を解消することであって、「非武装中立の方が、……他国から侵略されるおそれはない」(64頁)また、安保条約を廃棄すれば「他国の侵略を招くような要因は何もない」(65頁)と言うが、国際社会の様相はそんなに甘いものではない。

1、かつて、わが国はソ連との間に日ソ中立条約を結んでいたにもかかわらず、一方的な侵略を受けた。さらに、わが国が全面降伏したあとで、ソ連軍は、わが北方領土を武力占領し、わが国の返還要求に対し、いまだに応じようともしない。非武装中立は、日本全土を、北方領土同様の運命に陥し入れる危険がある。

2、その後、共産勢力は、韓国へ侵攻し、ハンガリー、チェコスロバキアに武力介入し、近年では、アフガニスタンを侵略し、ポーランドに圧力をかけている。また、フランスやアメリカによるベトナム戦争、イギリスとアルゼンチンの戦争、数次にわたる中東戦争、そして、いまだにくすぶり続ける中東情勢や中・越・タイ紛争、等々をみるとき、非武装中立で国の安全が保てるとは到底思われない。

3、国連も、前述のように、とても国際的安全保障の役割を果たせないのが現実である以上、日本は、やはり、米ソ両陣営の力の均衡と抑止の原理に立脚して、アメリカとの同盟と安保条約を堅持しつつ、国際平和への道をさぐるのが賢明である。

4、また、日本は、軍事大国になる必要もないし、また、かりに望んだとしても、米ソ両大国に追いつける筈もないが、日本も独立国として、もし侵略を受けた場合には、せめて集団安全保障が機能するまで、持ちこたえられるだけの防衛力を整備すべきである。また、国民が、国を守る気概を持っていることじたいが、侵略を阻止する大きな要因であることも忘れてはならない。

5、さらに、戦後、わが国が、わずかの国防力で、戦争にも巻き込まれず、平和で、経済発展を遂げてきたのは、何のゆえか。それは決して、いわゆる平和憲法のためでも、国防力が小さいためでもなく、アメリカと同盟関係をもら、西側陣営の一員として、その安全保障体制の枠組みの中にあったからである。安保条約を廃棄し、非武装中立を唱えることは、逆に、国際的な安全保障を自ら放棄し、豺狼の中に飛び込むようなものである。


五、『非武装中立論』は、反米親ソの亡国論である

 また、社会党の『非武装中立論』では各所に、「ソ連が軍事的優位に立った現在、有事に際して、アメリカがわが国を来援するのは疑わしい」(94頁ほか)とか、「わが国が日米安保条約を廃棄しても、アメリカは、日本を反対陣営に追いやることを恐れて、報復措置はとれない」(122頁ほか)とか、「日米安保条約を廃棄すれば、ソ連が日本を攻めるいわれはなくなる」(64頁ほか)などといった趣旨のことを書きたてているが、そこに、反米親ソの意図がはっきりと現れている。
 さらに、「もし攻めてくる国があったら、……思い切って、降伏した方がよい場合だってあるのではないか」(69頁)というに至っては、許すべからざる降伏論であり、そこに、社会党の『平和憲法擁護論』『非武装中立論』は、純真に平和を希求する国民の真情を逆手にとって、甘いムードで呼びかけて、社会党の勢力拡大の手段となし、左翼政権を樹立して、ソ連の影響下に入ることを志向しているものと推論せざるをえない。
 以上、すなわち、日本のおかれた国際環境下では、「武装中立」をとることさえむずかしく、いわんや『非武装中立論』は、理論的、歴史的、現実的、戦略的にも成り立ちえないばかりか、それは、かえって他国からの侵略を誘発し、わが国を亡国の淵に陥らしめるものといえるので、政治家はもちろん、国民の皆さんも、『非武装中立論』の恐るべき罠(わな)を見抜き、そうした甘言や幻想に惑わされぬよう、十分留意されることを、ここに要請する。

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