「鎮魂と平和の苑」建設委員会作成要請書、政府宛提出要請書121本目、平成17年1月7日提出
国・社会・他人のため一身を捧げた方々を顕彰する
「慰霊施設」を設けていただきたき要請

【要請の趣旨】

この要請書は、もとは当団体「教育部会」の発案にかかり、その後、小玉外行理事の戦没者についての追加要請が加わり、そして、当時の当団体会長櫻内義雄元衆議院議長ならびに理事長の上田稔元環境庁長官が、熱心に推進してきた構想であります。特に、上記の会長、理事長には、平成10年と平成13年の二回、総理官邸に、時の内閣官房長官をお訪ねし、政府宛要請書を提出してきております。
 しかし、ここへ来て、こうした課題について、国際的・国内的な情勢の変化もありますので、ここに、改めて、政府へ問題解決の御提案を申し上げる次第であります。
 いま、その概略を申しますと、
 この問題の発端は、当団体教育部会が、平成7〜8年当時、打ち続く教育荒廃・異常事件の続発を憂え、その是正策を検討した結果、こうした世相を改めるには、法律・制度・機構をいじるだけでは足らず、精神面・心の問題まで掘り下げなけれ ば、解決しないとの認識に達し、その具体策を検討していた時、たまたま、他人をたすけようとしてみずからの一命を捧げた貴い事件の報道がありました。
 そこから、当団体教育部会では、国・社会・他人のために貴い命を捧げた事例を調査しましたところ、上記の救難犠牲者をはじめ、警察官、消防関係者、自衛隊員、その他、公共事業関係で、殉職された方が沢山おられるのを知り、こうした方々こそ、慰霊碑・顕彰碑・記念館を設けて、末永く慰霊・顕彰すべきである。そして、青少年や社会人が、そこへお参りをすることによって、「こうした立派な方々がいるのだから、自分も悪いことをしてはいけない、少しでも良いことをしよう」という心を持っていただけるのではないか。それによって、精神面で世の中を良くするために、国に、そうした方々のための慰霊 碑・顕彰碑・記念館を造っていただこう、ということで運動を始めました。
 平成8年秋、この構想に加えて、小玉外行理事から、先の大戦で亡くなった民間人80万人についての本格的な慰霊碑がないことから、国は、これら民間人と軍人・軍属230万人、合計310万人という巨大な数の慰霊者を慰霊するため、施設を造るべきであるとの提唱がなされ、(財)協和協会の評議員会、理事会で諮ったところ、全員一致の賛成がありました。
 特に、国は、毎年8月15日、武道館にて、天皇・皇后両陛下の御臨席の下、約2時間にわたって大東亜戦争戦没者慰霊祭を執り行っているが、戦後半世紀を経て、御遺族も少なくなって、担当官庁は遺族を集めるのも難儀で、公務員に動員をかけており、その毎年の経費もたいへんだということを聞き、この毎年の武道館での行事に代えて、常設の慰霊施設を造るべきではないか、そのほうが予算もずっと少なくてすむ、と考え、以来、当団体は、武道館でのわずか2時間の慰霊に代わる常設の施設の建設を政府へ求めてきております。
 そこで、平成9年、当団体首脳が、監督官庁と目される省庁の大臣にお目にかかり、陳情したところ、その大臣は、主張はもっともであるが、国がやるとなれば時間がかかるので、貴団体は幸い公益法人であるから、まずは(財)協和協会で始められてはどうか、と御助言下さいました。この御助言を受けて、当協会では、評議員会、理事会を開いて審議の結果、この御助言に従い、まずは、当団体でこの事業を始めることとなった次第であります。
 こうして、当団体は、上田稔理事長(元環境庁長官)を先頭に、東京、神奈川、山梨、静岡で、50ヵ所にも及ぶ候補地を視察し、用地の選定を進めていたところ、平成13年に、小泉総理が靖国神社を参拝されたことから、中国の反発があり、また、我が国のある報道が、「政府は靖国代替施設を考えている」と誤報を流したことから、火に油を注いだ形になり、事態 は、国際的・国内的に大きな問題となってしまいました。これは、当団体としても、予想外の、また志と異なる展開であり、困惑しております。
 そこで、当団体では、こうして国際的・国内的に紛糾した事態を打開するためにも、政府が、平成10年当時から当団体が提唱している、救難犠牲者や警察官・消防関係者・自衛官・公共事業関係者での殉職者を慰霊・顕彰する施設を造るのと共に、毎年8月15日に、武道館で執り行われる「大東亜戦争戦没者慰霊祭」に代わる、常設の慰霊施設を造営していただきたいと考え、ここに、要請する次第であります。
 なお、場所については、政府の選定にお任せいたしますが、一案としては、皇居前広場の一角に、そうした顕彰碑、慰霊碑を設けていただければ、国民も参拝しやすく、意義も大きいと考えております。

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